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2008年10月15日 (水)

友だち地獄 2

「空気を読む」世代のサバイバル 土井隆義 ちくま新書 より~

・ 現実世界に対するリアリティの欠落は、自らの存在根拠にちて周囲から何も期待されていないと感じてしまう彼ら自身の自己イメージの低さ帰結でもある。このような自己イメージを彼らが抱いてしまいやすいのは、ワーキング・プアの存在が大きな社会問題となっているように、若者の就労をめぐる近年の劣悪な環境に起因する側面も確かにあるだろう。しかし同時にそれは、社会からの期待の中身が市場経済的な尺度へと一元化されてきたからでもある。それとは裏腹に若者の側は、「純粋な自分」への憧れという形で、「潜在的な可能性を秘めた自分は高く評価されて当然だ」という内閉的な自己期待感を、周囲からの評価とは無関係に高めているからでもある。   彼らが抱く「自分は特別だ」という感覚は、具体的な人間関係のなかで自覚され、それゆえに社会的な根拠にもとづいて培われたものではない。ダイヤモンドの原石のごとく生得的に備わった実体であるかのように、ただ内閉的に思い込まされた特別感である。だから、いくら自分に対する期待値が高まったとしても、いや、むしろその期待値が高すぎるがゆえに、周囲から注がれる具体的な期待とのギャップも大きくなり、かえって自己肯定感を削いでしまう。そして、その欠落感を補うために「優しい関係」へと脅迫的に依存し、自分を肯定的に承認してくれる理想的な他者を求めていかざるをえなくなる。   したがって、現実の人間関係に対して若者たちが抱く偽りの感覚、「これは本物の人間関係ではない」という違和感は、彼らのコミュニケーション能力が劣ってきたことによるのではなく、むしろコミュニケーションに対する彼らの期待値が上昇してきたことによる。言い換えれば、彼らの人間関係の実態が不純なものへと変質してきた結果ではなくて、むしろ純粋な関係への彼らの欲求が高まってきた結果なのである。

・ 無関心そうにおいては、いじめの責任も蒸発してしまう。2005年に、北海道滝川市でいじめを苦に自殺した小学生の同級生たちは、翌年になって遺書が公開されるに及んで、「俺たち、何もしていないのに悪くなっている」と語っている。ひとは、どんなにひどい結果を目の前にしても、そこえの関与が明白なものでなければ、なかなか自分の責任を自覚しにくいものである。しかも、実際にいじめの手を下す汚れ役は、特定の生徒たちが引き受けてくれている。彼らの存在のおかげで、無関心層の人びとは、「いじめになど自分はけっして加担していない」と言い張ることができる。しかし、そもそも責任(responsibility)が、応答(response)に由来するものだとすれば、本来なら積極的に介入すべき状況を目の前にして傍観者の立場を決め込み、無関心な態度を取りつづけること自体が、じつは責任の放棄ともいえる。

・ かくして「優しい関係」を営むこどもたちは、いじめて笑い、いじめられて笑う。傍観者たちもまた、それを眺めて笑う。互いに遊びのフレームに乗りきり、彼らが「いじり」と呼ぶような軽薄な人間関係を演出することで、いじめが本来的に有する人間関係の軋轢が表面化することを避けようとする。

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